金髪美女「凡庸な男が『新世界ワイン』知っていたら惚れると思うの」
甘やかすことが、常にいいとは限らないの。
男も、ワインも。
金髪美女
(*画像はイメージです)
生暖かい風が吹きつけるある夏の日、僕は大学のキャンパスにある噴水に腰掛け、ぼんやりと思索にふけっていた。すると、ズボンのポケットのなかでスマートフォンが振動しはじめた。非通知電話だ。訝しみながらも電話にでてみると、数秒の無音のなかにかすかな息遣いを感じた。
「もしもし」
「凡庸な男が『新世界ワイン』知っていたら惚れると思うの」
例の金髪美女はそれだけを呟き、電話が切れた。僕が数秒間呆然としていると、さっきまでの壮大な思索はもう思い出せない。あたりには噴水の音だけが響いている。
「何がどうあっても、『新世界ワイン』を手に入れなければならない」
僕は急いでリカーショップに向かったが、どれが新世界ワインなのか分からない。
するといつの間にか、青いサテンのワンピースに身をつつんだ金髪美女がそこにはいた。
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ワインってどこでできるの?
「新世界ワイン、どこにあるんですか?」
「その前に、まずはワインの生産地がどこなのか、知る必要があるわ」
「フランスとか、イタリアじゃないんですか?」
「間違えてはないけど。実はもっといろいろな国で生産されているのよ。今は」
図1 旧世界と新世界(オレンジが旧世界、緑が新世界)
「アジアから南アメリカまで!とても広い範囲で生産されているんですね」
「この地図のオレンジ色の部分、ヨーロッパで造られるワインを、旧世界ワインというわ」
「なら緑の部分が、新世界ワイン。ヨーロッパ以外のところですね」
「古くからヨーロッパでさかんだったワイン生産が、近代になって世界各国に広まった形になるわね」
「ロシアとか、ブラジルはワイン事業には参加していないんですか?」
「いいところに気がついたわね。ロシアやブラジルは、造らないのではなくて、造れないのよ」
図2 ワイン生産と緯度の関係図(赤の部分が生産地)
「葡萄はね、北でも南でも、緯度が30~50度のあたりが生産に適しているのよ。きっとあなたが思っている以上に、気候や土地はワインの質に影響するわ」
「じゃあ、ワインはとてもデリケートなんですね」
「デリケートだからこそワインなのよ。それともあなたは、ハンバーガーを食い散らかすような女を美人と呼ぶわけ?」
それはそれで好きだと思った。
でも確かに、「好き」と「美しい」は全くちがうものなのだ。
新世界ワインと旧世界ワインは何がちがうの?
土地
「新世界にも旧世界にも共通のもの、『土地』と『地形』から教えるわ」
「やっぱり、栄養いっぱいの方がいいんでしょうね」
「それが違うの。ワイン用の葡萄は、栄養のすくない土地の方がいいのよ」
「なんでですか?だっておいしい牛とかは、おいしいもの食べてるし、クラシック聴いたりしてるじゃないですか」
それを聞いた彼女は、少し笑った。そしてなだめるような口ぶりでこう言った。
「甘やかすことが、常にいいとは限らないのよ。栄養豊富な土地だと、葡萄は大きくなりすぎて、だらしなくなってしまう。やせた土地のほうが、実がひきしまるから、ワインを造ることに好都合なの」
地形
「地形も、あなどれないものよ。一般的には、丘の斜面のようなところがいいと言われているわ」
「作業するの大変じゃないですか」
「でもね、斜面は直射日光がよく当たるし、水はけがいいの」
「日光があたるほうが熟しますもんね」
「そうよ。風も強いから、霜を防ぐこともできる。とくに春先にそだつ葡萄の新芽は、霜で凍ると死んでしまう」
「ワイン農家にとっては大打撃ですね」
「農家の方はその時期、霜を防ぐためにいろいろと対策をしないといけない。風が強いと霜ができにくいから、斜面も一役買っているというわけ」
気候
「新世界と旧世界のちがいは、気候ね」
「ええっと、新世界のほうがあったかいんですかね?」
「地図を見ればなんとなく分かるわよね。正解。新世界のほうが暖かいから、葡萄は熟しやすい。ということは甘い」
「甘いってことは糖が多いから…」
「前のときの方程式覚えているかしら?」
「糖が多いってことはそのぶんアルコールが高くなりますか?」
「あなたも少しはやるのね。糖が多いとまた酸度が弱くなる」
図3 旧世界と新世界のワインの違い
「旧世界のなかでも、例えばドイツとスペインでは気候がちがうから、一概にはいえないわ」
「世界地図を思いうかべながらワインを選ばないといけないですね」
「ワインの生産地を気にするようになるでしょう?」
「国産の牛かそうでないかくらいは気にするようになりますね」
まとめ
「フランス語に"Terroir"という言葉があるの」と彼女は言った。
「テロワール、ですか?」
「そうよ。訳すのは難しいけど、おおよそ『葡萄をとりまく環境』といったところかしら」
図4 Terroirがワインの味に影響する
「土地や地形、気候のような要因のことですね」
「葡萄は環境の影響をうけやすいから、"Terroir"を意識しないといけない。専門用語よ。覚えておくといいわ」
それから僕と彼女はリカーショップで、シャルドネという白ワインを買った。アメリカのナパヴァレーというところで造られたワインだから、これこそ『新世界ワイン』だ。
僕らは自宅でテイスティングをした。白ワインのわりには、甘くない。食べ物には一番合いそうな気がする。でも何に合うのだろう。
「あなた、前よりだいぶ博識ね」
「それなりに、勉強してますから」
「いやだわ。昔のことを思い出してしまったわ」
そう言うと彼女は微笑み、それからしばらく黙ってしまった。どのような思い出を想起しているのか、僕には分からない。
「あの、ちょっとセブンイレブン行きません?」僕は停滞した沈黙を振りはらおうとして、彼女を誘った。
「どうして?」と彼女は言った。
「白ワイン飲んでたら、プリングルス食べたくなっちゃって」
言った瞬間に、間違えたとわかった。その証拠に、彼女は無言でグラスを机に置き、そのまま玄関に行こうとしている。
「いや、そんなつもりじゃ…」
「あなた、ワインを舐めているわ」
「それじゃあ、惚れられないわね」
弁解の余地すらなかった。僕はなんて馬鹿だったのだろう。
彼女は僕のもとからいなくなった。失言の気まずさだけが僕には残った。
二人の出会いはこちらから。
こちらは女神サマが大活躍します。