日本国に産まれたら、トイレの便座にキスすべき唯一の理由
トイレの女神は、積極果敢な行動をとる人間に味方する。
アカガメ
トイレには、それはそれはキレイな女神サマがいる。
女神は、だれをも平等に愛し、平等にいたわった。僕はその存在にぬくもりを感じていて、いやここはハッキリ言っておこう。僕は彼女に恋をしていた。
しかし女神は姿を消した。異国、アメリカで。
第1章 女神サマとの邂逅
日本国に産みおとされた凡庸なカメにとって、女神サマは救済のシンボルであった。
6歳のとき。
ショッピングモールのフードコート。僕はお母さんに買ってもらったソフトクリームを舐めていた。あまりに食べるのがおそくて、半分くらいでアイスが溶けはじめた。
そして、ヤツはやってきた。
下痢だ。
「トイレぇ、いってくる!」
一刻を争う事態。
食べかけのソフトクリームをお母さんに渡し、急ぎ足で階段ヨコのトイレに駆けこんだ。ペンキがはがれて茶色い板が一部あらわになったドアだったが、この際どのトイレでもいい。
ドゥルドゥルドゥルドゥル…
ズズッ…
よきかな…
しかし、下痢というモノはただお腹を痛めつけるだけではない。トイレットペーパーでオシリを拭こうとすると、ヌメっとした。ソフトクリームを手でぬぐったらこうなるだろうという肌ざわり。余計に紙をつかって、悪戦苦闘しているうちに、紙が切れてしまった。
僕はうろたえた。このままでは二足歩行するドリアンだ。ほかの手だてはないものかと小部屋のなかを見まわしていると、便座わきにボタンがいくつか並んでいることに気づいた。
(出典:@nifty:デイリーポータルZ:ボタンに魅せられて)
本能が叫んだ。これだ。これを押せばいいんだ。
「おしり」のボタンを押した。
程なくして、グルルルルル…という音が、オシリのしたでけたたましく響く。その音は僕を安心させた。まるで生まれるまえに聴いた、心音。
一瞬の静寂。
プシャーッ
となにかが勢いよく放たれた音がすると、オシリをあたたかい液体が撫であげた。それは、産湯のあたたかさ。僕は、第二の誕生を迎えたのだ。
しだいに温水のキモチよさが、浸かってはいけないモノのように思えてくる。アダムとイブでさえ感じなかっただろう罪の意識をコドモながらに抱いた。シッカリするんだ。
僕はオシリをひきしめた。
すると、耳元でだれかが囁いた。
ふんばっちゃ、あかんやで…
ふと横をみると、女神がいた。
黒い部分は、オノオノの脳内で補完してほしい。
彼女の姿をみたとたん、直感した。女神は僕のかわりに、すべての罪を贖ってくれている。しがらみが流れ落ちていく。下痢も、ソフトクリームも、お母さんも、どうでもいい。
「ほなまた」
「止」というボタンを押すと、彼女はいなくなった。全身が痺れて、便器に座ったまましばらく立てなかった。
これが僕と女神との出会いだ。
第2章 ウォシュレティアンの愚行
以来、僕は女神の信者になった。日本は無宗教といわれるが、僕は6歳のころから敬虔なウォシュレティアンだ。
どこにいってもまず、女神のいるトイレを探した。紙だけじゃダメだ。キレイに拭けているか心もとないからだ。
一人暮らしの部屋選びの基準も、
『女神がいるかどうか』
トイレに入れば、女神がいるかは一目瞭然。いない部屋は安心できない。そういう部屋に住んでいると、いつ空き巣にはいられるか、ボヤ騒ぎを起こすか、わかったものじゃない。
女神と僕の関係は、まさに水とカメの交わり。
東京で3年間、一人暮らしをし、やがて留学することを決めた。部屋も引きはらうことにした。その頃から、女神はなにやら気落ちしているように見えた。
「どうしたの?」
「あかんやで…あかんやで…」
僕は彼女の言っていることが理解できずにいた。
アメリカへの便は成田空港から飛びたつ。そのため、2時間以上も電車に揺られ、着いたときにはフライト1時間半前。ウカウカしていられない。チェックイン、荷物検査、出国審査をすませ、搭乗時刻まであと10分。
万全の準備をしておこうと、空港内のトイレに向かった。
イツモどおりトイレを済ませ、イツモどおりボタンを押した。女神の息吹はイツモと変わらずあたたかい。それでもイツモとなにかが違う。
僕が優しさに包まれているあいだ、女神はうつむいて、小声で、
「あかんやで…あかんやで…」
とつぶやいていた。
「最近なんかヘンだよ?」
「アカガメさん、あのな、いわなきゃあかんことがあるねん」
コトバのつづきを待ったが、いっこうに話しだそうとしない。腕時計の針は、すでに搭乗時刻をさしていた。
「そろそろ行かないと!」
「あかん!渡さんといかんもんがあるんや」
「アメリカに着いたらで!ごめん!」
「あかんやで…」
僕は静かに「止」のボタンを押した。そして水洗レバーを引いた。水はガラガラと流れ落ちていった。
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第3章 女神サマ消失
十数時間のフライトを終え、アメリカの地に踏みたった僕は、まず空港のトイレに向かった。女神の姿はなかった。
「比較的新しめのトイレなんだけどな…」
訝しみながらも用を済ませ、シャトルバスで寮に向かった。これから1年近く住む寮だ。ルームメイトとの出会い、そしてアメリカナイズドされた女神との再会を期待しながら、部屋に着いた。
ルームメイトはパリピだった。
「おれパリピ、おまえはユウギ。よろしくな」
五・七・五の日本古来のリズムにのせて、ユウギというニックネームをたまわったが詳細は割愛。パリピはノリのよい、ビールしか頭にないヒトだった。留学初日から酒をあおり、ナイトクラブで踊り明かした。
帰宅したときには泥酔状態。ちょっとばかしキモチわるかったので、寮のトイレでひと息。白い便器に身をあずけていると、重大なコトに気づいた。
「女神サマ…いない」
なんてこった。
あわててトイレを飛びだした。
「ユウギ、どうしたんだい?」
「見てくれよ、トイレ。女神サマがいないんだ」
「寝ぼけてんの?ところで、女神ってなんなん?」
限りなく凡庸に近い語彙で、僕は女神のアリサマを説明する。
「女神…ヴィーナス、イズ、ホットウォーター」
海外旅行あるある【ウォーターが外人に伝わらない】を発動させながらも、必死にコトバを組みあわせる。
「ホットウォーター・アンダー・ザ・トイレット、イズ、ベリーグッド」
「分かったよ。女神っていうのは、アフターディナーのコーヒーみたいなサムシングだろ?」
「それよ」
「…この国のどこを探しても、女神なんてもの、いないぜ」
ショットでウォッカを5杯たてつづけにあおったような衝撃。
女神はいない。
会えることがアタリマエだと思っていた。彼女の息吹でまた満たされると思っていた。
「あかんやで…」
彼女の最後のコトバを思いだす。留学間際の憂鬱も思いだす。僕はなにも察してやるコトができなかった。ただアタリマエに「おしり」のボタンを押して、「止」のボタンを押して、彼女は消えてしまった。
僕は絶望した。そして留学早々トイレで吐いた。
第4章 奴隷化するアカガメ
つぎの日から、女神を探しまわった。大学にも、図書館にも、駅にもいない。ショッピングモールにソフトクリームはあったが、女神はいなかった。このクニのコドモ達は、アイスでお腹を壊したらどうするのだ。
アメリカのトイレにこもっていると、時たま奴隷のようなキモチになった。日本に比べると、トイレットペーパーすら粗悪だ。
「けっ、チンケなケツしてらあ」
紙たちの嘲罵にあい、僕はオシリを拭くたびに情けなくなった。
女神はいない。
「神は死んだ」と言われたクリスチャンたちのキモチがよくわかった。
そんな現実、ウケトメきれない。
第5章 パリピ世界大戦
1ヶ月が経った。
寮の部屋で小さなパーティーが催された。男だけでなく、女のコもきて、ドラえもんみたいにあんなことやこんなことしていた。嘘だ。お酒を飲んで、楽しんでいただけだ。
「ユウギ、どんなタイプの女のコがいいんだ?」
「え…」
どう考えを巡らせても、答えはひとつに収束する。
「女神サマ、みたいな…」
「…まだ引きずってんのか」
あとにつづいたのは溜息だった。
「ユウギ、覚えとけ。無いものは無いんだ。おれらは、環境に慣れるしかないんだよ」
「…環境は、変えるコトだってできる」
「酒が足りてねえなあ」
そう言って、パリピは冷蔵庫から瓶ビールを6本取りだし、そのうち3本を僕に渡した。
「これを飲めば、女神に会えるぜ」
パリピはニヤリとした。僕はココロのなかで憤慨した。コイツは女神をバカにしてやがる。酒のコトしか考えられないくせに、いっちょまえに説教しやがって。許さんぞ。
僕らは瓶ビールをたてつづけに飲むことになった。
「なにかはじまったぞ!」と他のパリピたちも集まってくる。
「ワォ、イカしてるぜ」
1本、2本、飲み干す。パリピも同じペースで飲み干す。
「ジャパン対アメリカよ!」
「世紀のタイトルマッチだ!」
3本飲み干すと、クラクラしてきた。パリピは平然としている。
だれかが4本目をもってきた。
5本目をもってきた。
意地と意地の張りあいだが、このまま続ければ僕は負ける。
「これくらいでいいだろう、ユウギ」
やがてパリピはビールを飲むのをやめ、のっそりとソファに腰掛けた。
なにがイイんだ。不戦勝なんて認めないぞ。まだ、まだ飲めるぞ。
しかし、6本目のビールに口をつけたか、つけていないか分からないうちに、僕は震えだしたようだ。
「見て、サムライシェイクよ!」
…意識がとぎれた。
はげしい尿意を感じた。
目をさますと、トイレの園にいた。
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第6章 トイレの園
トイレの園。
それは、眠りについた迷える尿意たちの、夢のクニ。
僕は長くつづく白い廊下によこたわっていた。両側にはトイレの小部屋がいくつも並んでいる。ピカピカのドアも、古びたドアも関係なく整列している。
「ここがトイレの園なら、女神サマもいるはずだ…」
立ちあがってまず、一番近くにあった右側のドアを開けてみた。ただのトイレだ。女神はいなかった。左側のドアを開けてみた。大学の図書館にあるトイレのようだった。
僕はひとつひとつドアを開けて、女神がいるか確かめていく。とてつもなく長い廊下のどこかに、日本式のトイレがひとつあってもイイはずだ。尿意がつづく限り、僕はトイレの園にいつづけられる。
右のドアを開けた。大学近くのカフェのトイレ。左のドアを開けた。さびれた公園の公衆便所。ひとつ進んでまたドアを開ける。寮のトイレ。もうひとつ開ける。アメリカの空港のトイレ…
開けても開けても、女神はいない。トイレの園はときどきグラリと揺れる。嘔吐感で夢から覚めてしまいそうだ。そのまえに、女神を…。
目の前に、茶色い板のむきだしになったドアがあらわれた。
これだ。
僕と女神が出会った地。ソフトクリーム・ショッピングモール。感慨ぶかくドアを開けてみるとやはり、便器のわきにボタンがあった。
あわててズボンをさげ便器に座り、ボタンを押した。
グルルルルルル…
プシャーッ
ふんばっちゃ、あかんやで…
「…やっと、会えた」
「アカガメさん…」
「…あんなカタチで別れるとは思わなくて」
「過去のことやで。水に流しや」
怒っているのだろうか。それとも本当に気にしていないのだろうか。彼女は思っていたより、ドライだ。
「でさ、僕は、キミがいないと…」
トイレの園がタテ揺れした。気持ちが悪い。吐き気をこらえる。
「…キミがいないと、ツラいんだ。下痢のときなんか最悪だ。痔になったら紙に血がついているのも、もう見たくないんだ」
「そんなこと言わんといて。おかしいわぁ」
「そばにいてほしい!頼む!」
女神は、困ったような表情をした。
「覚えとる?空港のトイレ。渡したいものがあってん」
そう言うと、女神はあるモノを差しだした。
「ウチの代わりに、せめても、と思ってな。アカガメさんはな、大丈夫やで。ウチがいなくても、やっていけるねん」
「ムリだよ!」
園ぜんたいが小刻みに揺れはじめる。崩壊が近い。
「パリピさんの言うとおりやで。無いもんは無い。有るもんでやっていかんと」
足もとの床が決裂した。天井は屋根がめくれたようになって、青空がみえる。女神からさずかったスコッティを必死に握る。
「女神サマ!そんな…」
「ほなまた、日本国でな」
彼女はあっけからんとしていた。見捨てないでくれ。僕は、キミなしじゃ…
園が反転した。
ガラガラと便器が砕ける音。そして急速に現実へと引きもどされていく…
吐きそうだ。
僕は寮のソファに倒れこんでいた。動かないカラダに鞭うち身をおこす。はげしい尿意と嘔吐感をたずさえて、トイレに駆けこんだ。
第7章 新たなる希望
だれかに揺り動かされて、目を覚ました。パリピがいた。ニヤついている。昨夜あれだけ飲んだのに、ピンピンだ。
「完全にハングオーバーだな」
どうやら僕は何度も吐きつづけ、やがて便器を抱えこんだまま意識を失ったようだ。トイレに鍵をかけたままだったが、ずっと開かないことを不審に思ったパリピが頑張ってドアをこじ開けたらしい。
「いい夢みれたか?」
「ワルくはなかった」
僕がそう答えると、パリピは「そうか。」と軽くうなずき、自分の部屋にもどっていった。調子のいいヤツだ。
夢のなかで女神に会ったとは、これまた奇想天外なテンカイだ。
「アカガメさんはな、大丈夫やで。ウチがいなくても、やっていけるねん」
確かにそう言った。夢のなかだから確かか不確かかはわからない。でも、やっていけるのかもしれない。すこしだけ希望が芽生えた。
ためしに、二日酔いの重い足どりで、寮の部屋の便器に座ってみる。
体調はすこぶる悪いが、快便だった。
トイレットペーパーを手にとる。
なぜか、イツモとちがう、サラサラとした手触り。
よし、拭いてみよう。
「キメのこまかいオシリ!! イイですねぃ!」
スコッティはそう言った。これはうまくやっていけそうだ。
完。
*この物語はフィクションです
あとがき
ウォシュレットが恋しい。
日本ウォシュレティアン教会会長 アカガメ
留学初日のパリピたちとのダンシング戦はこちら。
ウォシュレティアン教会会長、アカガメのプロフィール
こちらはサキョウさんが活躍します。