金髪美女「凡庸な男がワインの違いを知っていたら惚れると思うの」
誰にだってわがままにならないといけないときがある。
ワインにとって、それは発酵だったのよ。
金髪美女
(*画像はイメージです)
ある夏の昼下がり、僕は大学のキャンパスにある噴水に腰掛け、まどろみに身を任せていた。すると、例の金髪の美女がこちらにやってきて、今度は僕の隣に腰をおろした。そのままなにも言わず、俯いたままの彼女の横顔は、白磁のように滑らかで、静謐だった。
「凡庸な男がワインの違いを知っていたら惚れると思うの」
彼女はそれだけを呟くと、すっくと立ち上がり、そのまま歩いてどこかへ行ってしまった。僕が数秒間呆然としていると、さっきまでの眠気はあっさり消え失せていた。あたりには噴水の音だけが響いている。
「何がどうあっても、ワインを知らなければならない」
僕は小走りで自宅に向かう。その時、すでにワインの教科書は腕のなかで大人しく僕に身を預けていた。
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ワインってなんだ?
ワインの教科書を開いてみると、英語しか書かれていなかったため、そっとページを閉じた。まずは自分のなかから現れてくる疑問に耳を傾けよう。
そもそも、ワインとはなんなのだ?
ワインはぶどうから造られていることは知っている。でも、どうやってあの甘いぶどうが、あんなに渋くなるのだろう。加工の段階で、どうやったらアルコールに…?
「酵母よ」
背後から声がして、ゆっくりと振り返る。彼女がいることを僕はなぜか知っていたのだ。
「ワインはね、葡萄の糖と酵母で造られるのよ」
「仕組みがよく分かりません」
「酵母はね、酸素があるときには糖を食べて子孫を増やすけど、酸素がなくなると糖を分解して二酸化炭素とアルコールを放出しながら生命を維持しようとするの」
「つまり、ぶどうの糖と酵母が、二酸化炭素とアルコールに変化して、ワインができるってわけですね」
「その過程を発酵というのよ」
図1 発酵の方程式
「じゃあ、酵母はとてもわがままなんですか?」
「そうよ。誰にだってわがままにならないといけないときが来るの。あなただって、お金がなくなったら女にせがむのでしょう?」
それは僕にとって真実ではなかった。しかし、哀愁をたたえている彼女の碧い目を前にして、僕はなんと答えることができたであろうか。
赤ワインと白ワインの違いは?
「なんで、同じぶどうから造られてるのに赤と白のワインがあるんですか?」
「それなら、葡萄を想像してみなさい」
僕は、ぶどうを想像してみる。紫の外皮に包まれた、黄緑色の実。それは食べると確かに甘いはずだ。
「赤ワインはね、実も皮も、種も一緒に発酵させるのよ。逆に、白ワインは、実だけ発酵させる」
「あの赤ワインの色は、皮と種からきてるんですね」
「それだけじゃないわ。葡萄の皮には、タンニンという渋みの成分が詰まっているの。だから、赤ワインは白ワインに比べて渋い」
「白ワインのほうが飲みやすいのは、そういう理由なんですね」
「赤ワインも美味しく感じるようになるわよ。あなたがもうすこし大人になれば」
ワイン用ぶどうと食用ぶどうには違いがある
「じゃあ、僕がスーパーで買ってきたぶどうで、ワインを造ることはできますか?」
「できなくはないわ。でも、ワインに使われる葡萄と、スーパーに並んでいる葡萄は本質的に違うのよ」
「種類の違いですか?」
「そうね。ワインに使われるのは、ヴィティス・ヴィニフェラ種という葡萄よ。90%のワインが、この種類の葡萄から造られるの」
彼女の口から聞き慣れないことばが出てくる。ヴィティス・ヴィニフェラ。
図2 ぶどうの違い(左がワイン用ぶどう、右が生食用ぶどう)
「生食用やジュースに使われるのは、ヴィティス・ラブルスカ種の葡萄なの。ワイン用葡萄のほうが、糖度が高くて、粒が小さいの」
まとめ
それから僕と彼女は、ワインテイスティングをした。リースリングという白ワインらしい。口に含んでみると、甘くて、飲みやすい。
「ワインの教科書を買ったあなたは、いつもより素敵にみえるわ」
「こんな僕でもですか?」
「ワイン巡りに一緒に行ってもいいくらい。あなた、ニューワールドとオールドワールド、どちらに行きたいかしら?」
ニューワールド?なんのことを言っているのだろう。
「もしかして、あなた、新世界と旧世界の違いを知らないの?」
「大阪の新世界とか…新約聖書や旧約聖書ならわかるんですけど…」
「それじゃあ、惚れられないわね」
彼女は持っていたグラスを机のうえに置くと、そのまま部屋の玄関のほうへ行ってしまった。
「次は、新世界に詳しくなることね」
去り際にそれだけを言い、彼女はいなくなった。リースリングの甘さだけが僕には残った。
第3話はこちら。
白ワインが大活躍しました。
テイスティングについてはこちら。