慶應生の実態を7匹のポケモンで例えたら偏見が崩れ落ちた
僕は悲しいのです。
ヤフーニュースやTwitterを見ていると、慶應大学のとある団体がやらかした記事をよく目にします。日本でいまどれくらいの扱いをなされているか、慶應内でどんな感じになっているのかはわかりません。どちらにしても、よくないことです。
留学先にいる日本人が抱く慶應大学のイメージも、よくないです。
日本からの留学生も、現地の大学に通う日本人も。
「慶應生こわいんだよね」
「慶應生とか、いきってるやん」
こんな感じです。今回の事件が起こる前からいえることですが。
どげんかせんといかん。
「慶應生ってチャラいんでしょ?」というのは、偏見です。
「アメリカ人ってハンバーガーしか食べないんでしょ?」や、「インド人っていつもナンかじりながら踊ってるんでしょ?」くらいの偏見です。そうじゃないと僕みたいな凡庸な慶應生の立つ瀬がなくなってしまう。
しかしただ否定するばかりでは意味がない。慶應が凡庸な大学であることを証明しなければ。
そこで、現役慶應生の僕が、慶應生をタイプ分けしてみました。そしたら7つの類型になりました。
本当はイラスト付きでわかりやすくしたいのですが、凡庸な僕に画才などあるはずがないです。ポケモンに分類したのでイメージを膨らませてください。
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ケイオウずかん〜慶應7タイプ〜
1.体育会系 ゴーリキー
ときどきゴーリキーが学ラン着て歩いているのかと思ってしまうので。
慶應全体の3%を占めています。
ちなみにこの%は、雰囲気です。正確ではありません。
大学生活の中心は、もちろん部活です。
就活はほぼ無敵。うらやましいなあと思うけれども、実際に彼らはそれにふさわしい経験を積んでいます。
部活ほど日本的な会社の仕組みを縮図にしたものはないです。
部活内では先輩・後輩のタテの関係は絶対。
遅刻欠席は数回でペナルティです。僕の友達はこれで坊主になりました。
練習場やイベントの手配もすべて部活内で役割分担されています。
役員としての仕事が入ると、旅行先にいても戻らされます。
見た目がごついので時々びびってしまいますが、その肉の塊はコミュ力でできてるんかというほど、社交的。
だれとでも打ち解ける人が多いです。
スタミナと上下関係とコミュニケーションスキル。
間違いなく、彼らはビジネスの世界で活躍していけます。
2.秀才層 エビワラー
自分に対し、そして将来に対しストイック。
慶應全体の10%を占めます。
大学生活の中心は、勉強です。
凡庸な大学生が、「人生の夏休みだあ」と言っている1、2年生あたりも気を抜きません。大学4年間の見通しを立て、計画的に行動します。
少人数クラスを自主的に取ったり、資格を取るために図書館にこもり勉強します。
国家公務員、弁護士、公認会計士をめざす人が多いです。
この世に生まれた意味を自覚して、ぶれずに努力をする。
その集中力と将来設計の確かさを見ていると、頭いいんだなあと感じます。
人柄としては、落ち着いています。
知的な会話もできれば、どうでもいい会話にも対応できるので、どちらにも対応できない僕は劣等感しか抱きません。
この人たちがこれからの国を支えてくれるなら、僕は安心して日本で暮らせます。
3.なんやかんやオサレ層 ラプラス
体育会系や秀才層は、どこの大学を探しても見つけることができます。
それに比べて、なんやかんやオサレ層は、慶應独特で、全体の14%を占めます。
慶應といえばこの層だなあと、現役慶應生の僕は思っています。
大学生活の軸はなく、どれも満遍なくかじって卒業します。
ひとことでいえば、安定志向です。
1、2年はサークルとバイトが中心ですが、漬かりこみすぎず、3年生からはゼミ生活に自然移行。大学3年の夏からインターンをしっかりしていき、就活もスッと終わらせます。
この層は彼氏彼女保有率が高いです。で、行くお店がだいたいオサレ。話題のお店や、食べログ上位表示のレストランをデートの軸に据えています。
サイゼリアに彼女を連れて行き、小エビのサラダを食べさせた僕とは大違いですね。
また、代官山の蔦屋書店のようなオサレの権化みたいなところを好みます。
本は読むものではなく、眺めるものなのです。
僕なんかブックオフでけちけちと本を買っているのに。
どのフィールドにも順応できるので、顔が広い。
テスト週間はその人脈をフルに活かし、過去問やらノートやらを拾い集めてきます。
彼らはときに「総合商社」と呼ばれます。
僕や体育会の人間は、おすわりしてそれを待ちます。その間は犬のように従順です。
そういうわけなので、社会にでてもうまくやっていく人たちです。
いいお父さん、お母さんになるんだろうなあ。
4.ベンチャー層 ウインディ
慶應全体の7%を占めます。ビジネスに特化した層です。
大学生活の中心は、勉強です。
資格の勉強は机の上ですが、ビジネスの勉強は自らが動かないとはじまりません。
なので、積極的に学外のイベントや、インターンシップに参加します。留学、あわよくば交換留学ももちろん視野に入れているので、成績もしっかり取ります。
経済、会社の仕組み、株の知識をまずはインプット。
それから実際にインターン、起業、投資という形でアウトプットしていきます。
起業に失敗しても、それは社会勉強。
ビジネスを勉強して就活につながらないわけがないですね。
「経済界の慶應」を引っ張っていくひとたちです。
5.凡庸層 ピッピ
慶應のメイン層です。全体の60%を占めます。
大学生活の中心は、サークルとバイトです。
「人生の夏休みだあ」と浮き輪をもって大学という海原に飛び込んでいきます。
2つ3つ、サークルに入ってみて、3ヶ月後には1つに絞られます。
そしてそこで泳ぎつづけるのです。
テニスならテニス、演劇なら演劇、吹奏楽なら吹奏楽。その道を極めます。
オサレ層が大学3年生あたりでサークルから足が遠のくのに対し、この層は漬かります。「先輩!」ということばに応対する快感がタマらないのです。
将来よりも、今が大事です。
オサレ層が大学3年生の6月にインターンに応募しはじめるのに対し、この層の動きはゆるやかです。そして就活解禁が近づくと焦りはじめます。
「やばいやばい、あたし大学でなんにもやってきてない!」
彼らは新年を境目に就活モードにしようと試み、とりあえず家にあった日経新聞を読みはじめます。でもビジネス用語がわからずに結局3月までダラダラしてしまいます。
就活がはじまると下手な鉄砲も数うちゃ当たる状態。
サークルを通してそれなりの技能を身につけたはずなのに。
「ほんとにやりたいことって、なんだろう?」
「あたしねぇ、とりあえず働いてみたらわかると思うの!」
と社会に出ることに漠然とした不安を感じ、残りすくない人生の夏休みを腕がふりちぎれるまでフィーバーしようとします。
そう、それが僕です。
外見も行動もピンキリですが、考えることは人並みにまともです。
飲酒事故は起こしますが公共の福祉は守ります。
僕はそう信じています。
6.無政府主義層 ヤドラン
全体の5%を占めます。
慶應に入ったのに人生とはなにかを問い直します。
大学生活を、彼らなりに謳歌します。
しかし共通するのは、人生という街道を迷走している点。
一言でいえば、「不安定」です。
「人生の夏休みだあ」と、まずは勢いよく大学生活に飛びこみます。
サークル。
集団行動や上下関係がいやで、だんだんと疎遠になります。
逆に打ち込みすぎて、「もうこれを仕事にしていこう」という気になる人もいます。
そういう人間はだいたい留年します。
バイトもはじめて慣れていくうちに、
「なぜ貴重な大学生活をバイトに費やしているのだろう?」
という疑問に至り、辞めてしまいます。
『大学生活 やること』
でGoogle検索をかけ、とりあえず面白そうなものはやってみる。
そうするといつの間にか多芸になります。
最近の流行りだと、ラップを習得したりします。
就活への態度は、あいまいです。
そもそも、社会よりも自分に興味が向いているために、「なぜ就活しないといけないのか」と生き方そのものに疑問を投げかけているのです。
人と違うのはいいことだと自分を肯定し、自分なりの生き方をめざそうとします。
この層はホームレスになるか、一芸に秀でて売れるかのどちらかです。
7.チャラ層 ゴースト
全体の1%を占めます。
まず、大学でみません。ゴーストタイプです。
サークルの新歓期、食堂あたりに出没します。
ホストのような金髪の人が食堂でカレー食べていて、
「ええ、こんな慶應生もいるのか」
と入学したての僕は思いました。それ以来見ていません。
「慶應生こわいんだよね」の正体はこの人たちです。
慶應生のイメージを、どうにかしたい
慶應って聞くと、うげってなるの、わかります。
「慶應生こわいんだよね」も、わかります。
でも、ふつうの大学でしょ?
この図を見てください。慶應大学の縮図です。
図1 慶應大学の縮図
さて、ゴーストはどこにいるでしょうか?
図2 ゴーストの場所
簡単かもしれません。逆にピッピのなかにいると、目立ちやすいし、派手です。
実は全体の1%です。
でも1%のために、99%が犠牲になることが往々にして起きるので。
今回の一連の騒動で、慶應=ゴーストみたいになるのは悔しいです。
僕がいままで会ってきた慶應生は、それぞれの将来を考え、不安にさらされながらも、自らの生き方を見出そうとする人たちです。
だから、慶應ということばを聞いたら、凡庸ピッピを思い出してください。
それかこの凡庸なアカガメを思い出してください。
そうすれば、慶應は嫌われずに済むはずです。
凡庸なプロフィールをみるとどれほどの凡庸さか分かります。
全ピッピたちに是非ともみていただきたい。